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人に会うということ。


その昔、桂米団治という噺家がいらっしゃった。
落語好きの方ならご存じでしょう、
そう桂米朝さんのお師匠さんですな。

世間には出回ってないが、米団治師の芸談を
書き綴ったものがあるそう。

「落語の稽古と言うけれど
 心もこもっておらずただべらべらと
 喋るだけならわざわざ稽古をしてもらう必要は無い。
 喋るだけなら、気があれば楽屋から聞いていても
 覚えられる。稽古とは落語の中から
 何か掴み得るものがある。
 それを早く掴まえられるようにしてやる。
 これが真実の稽古だ」

この言葉は落語に限ったことではなく、
現代社会の、人に会うということにも
通じるのではないだろうか?

連絡をするだけなら電話でもいい、
伝えるだけならメールでもいい。
渡すだけなら宅急便でもバイク便でもいいはず。

伝達する術はそろい過ぎている現代で、
私たちがそれでも人と会う理由は、
言葉では表せない何かを得るためではないだろうか?

伝達するだけなら、発達した手段を有効に使って
時間を効果的に使うべきだろう。
それでも人に会う限りは、
その人の言葉にならないこと、
デジタルに転換できないことを
積極的に感じたり、掴んだりするように努めたい。

それが現代社会の
人に会う意義ではないだろうか。

人に会うのに
理由なんていらないのかもしれない。

私たちは照れくさいから、相手もびっくりするから
ちょっと効きたいことがあってなど
どうでもいい理由をこじつけているけれど、
実はただ会いたいだけという理由だけで
十分という気がしている。

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