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阿久悠さんが残したもの。


阿久悠さんが亡くなった。

追悼番組を見ていて初めて気づいたけれど、
私の人生は阿久さんの唄とともにあったと思えるほど
どの唄も口ずさめるのだ。

とはいえ、若い頃は
阿久さんの唄がいまいちピンとこなかった。

もっと派手な詩を書く人はいた。
ショッキングな表現をする人はいた。
なのにどうしてヒットするのか。
どうして人の心をとらえるのかが
わからなかったのだ。

大人になって物を書くことを生業してから
阿久さんの詩についてじっくり考えたことがある。

阿久さんのスゴイところは
スゴイとわからない歌詞を書くところなんだと思う。
技巧が見えない。ことさらな表現がない。
誰でも書けそうな詩なのだ。
だから誰の心にもすっと入るのだろう。
しかしそんな歌詞って、実は誰にも書けない。

詩もそうだし、文章もそうだだけれど、
阿久さんはほとんど形容詞は排除しているってことに
気づいている人はどれくらいるだろうか。

きれいとか、たのしいとか、かなしいとか
うれしいという言葉を使わないで
きれいとか、たのしいとか、かなしいとか
うれしいことを名詞と動詞で表現している。

そんなこと、
いまヒットチャートを賑わせている歌を
例に持ち出すまでもなく、
昨日今日の作詞家や物書きにできる芸当ではない。

昔から、文章は形容詞から腐っていくといわれている。
だから阿久さんの詩も文章も
すぐに賞味期限がきれることはないのである。

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