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開高健記念館。

 

先日、茅ヶ崎で仕事があったので、取材先の場所をGoogle mapで調べたら、その近くに林水泳教室があった。マドレーヌを食べたときに記憶の花が開いたのは、プルーストの小説の主人公だけれど、林水泳教室という言葉をみつけたとき、ぼくのなかである記憶が、とつぜん、どんどんカタチになっていった。そこはバックペインに悩んでいた開高健さんが通っていた水泳教室!ということは開高さんの自宅はこの近くなんだ!

 

開高さんの自宅は、いま、「開高健記念館」として週末だけ一般公開している。 仕事の日は、ちょうど開館している。仕事の終了後、なにをさておき向かったのはいうまでもない。初めて訪れる開高邸。

 

ぼくがはじめて開高健を知ったのは高校2年。ちょうど同じ頃に衝撃を受けたもう一人の人物がショーケンだった。ほぼ同時に、まったく異なる2人の大人にひかれ、以後、ショーケンからはファッションスタイルを、開高さんからは知と言葉と生きるスタイルの影響を多分に受けるようになる。

 

開高さんの本をむさぼり読み、開高さんの文章を何度も書きうつした。ほぼすべての本を読んだ。とくに『夏の闇』と『流亡記』は、どのページにどんなことが書いてあるのかほぼ言えるほど読み返した。開高さんの言葉から学んだことは、骨の詰まった文章を書くこと。1行にどれだけ豊饒な言葉のイメージを詰め込むことができるか。大学時代は自分でもそんな文章が書きたくて、開高さんの1行1行を書きうつしては、時計職人のように分解して、言葉の構造を探ったものだ。

 

開高さんに出会わなかったら、ぼくは関西大学の仏文へは行かなかったし、コピーライターにも、言葉の世界にも飛び込むことはなかったと思う。酒の修行なんて考えもしなかったし、どん欲に食を楽しむこともなかったと思う。いまのぼくと、いまのぼくの生活と、いまのぼくの友人と、いまのぼくの人生もなかったはずだ。開高さんの本を読み、言葉を貪り、生き方を追って、ぼくは大人になり、おじさんになっていった。「開高健記念館」をめぐりながら、そんなことを思い返していた。

 

20代の後半、まだまだ半人前で勤め人だったぼくは、初めてといっていいくらい派手な仕事を任されて、東京のあるスタジオにいた。女優の黒木瞳を、カメラマンの立木義浩さんが撮っていた。シャッター音が異様に耳につくほど、どこか張りつめた撮影だった。途中、1本の電話がスタジオに入る。電話から戻ってきた立木さんはなにごともなかったかのように撮影を再開したが、終了すると雑談もそこそこに引き上げた。あとから知った。その電話は開高さんの死を知らせる訃報だったのだ。58歳、あまりにも若い死だった。

 

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